正岡子規は明治27年より、旧前田藩の広大な下屋敷(大名屋敷の一つ )の御家人用二軒長屋
に移り住み、故郷松山より母と妹を呼び寄せ、子規庵を病室兼書斎と句会歌会の場として多
くの友人、門弟に支えられながら俳句や短歌を生み出していきました。子規の没後も、子規
庵には母と妹が住み、句会や歌会の世話を続けました。庭からは上野の山を望むことが出来
たということです。
子規没後100年を経て子規庵の周囲は大きく様変わりしておりますが、子規庵の縁側に腰掛
けて小園に目を投じていただければ、静けさや訪れる小鳥の姿に当時の子規庵を偲ぶことが
出来るでしょう。
フリーマガジン言問散歩 Vol.06 より抜粋